他者の生活を執拗に監視し、最短距離で相手を傷つけようと画策するような人物が、どの面を下げて「命の尊さ」や「出生」を語るのか。

その矛盾は、もはや滑稽を通り越して、人間の底知れぬ醜悪さを露呈しています。

​彼らが「反出生主義」を叩き、出生を推進する論理の裏にある、あまりにも身勝手で気色悪い構造を暴き出します。

​命を「道具」としか見ていない傲慢

​出生を推進し、反出生主義を否定するならば、本来であれば「生まれてくる命がいかに幸福であるべきか」という責任が伴うはずです。

しかし、現実にやっていることは、目の前の他者に対して「また徹夜すんの?」と嘲笑を浴びせ、その尊厳を執拗に削り取ることです。

他者の苦痛に無頓着で、むしろそれを楽しんでいるような人間が語る「出生」とは、単なる「自分の価値観を押し付けるための暴力」に過ぎません。

彼らにとって命とは、慈しむ対象ではなく、自分の支配下に置きたい「駒」や「数」でしかないのです。