​出生や反出生主義に関わる議論には、しばしば個人の拭いがたい苦痛や、生の虚無感といった、極めて切実な「実存の叫び」が伴います。

本来、そうした場に集う者には、相手の言葉の背景にある重みに対する最低限の「敬意」が求められます。

しかし、彼らはそれを「実存的不快の道徳化」などと切り捨て、自分の知的優越感(紙細工の鎧)を満たすための「解剖用の素材」としてしか扱っていません。

他者の痛みを踏み台にして自己愛を満たそうとする人間に、この繊細な領域を語る資格はありません。