なぜ彼らは「仏教」ではなく「国学」へ向かうのか?
767氏が言うように仏教の方が伝統として深いにもかかわらず、批評家たちが国学へ向かうのには理由があります。

それは、日本の知識人が「西洋(普遍)」に対する「日本(特殊)」というアイデンティティの問いに直面したとき、日本における最初の自覚的な「自己言及(俺たちって本来どういう存在なんだっけ?という問い)」が国学だったからです。仏教や儒教はすでに「生活の実態」になりすぎていて、「外来思想をどう受容するか」という近代のメタ的な葛藤のモデルとしては、国学者の悪戦苦闘(宣長の漢意批判など)の方が、彼ら自身の知的葛藤とシンクロしやすいのだと思われます。

Gemini.