>しかし、「存在しないこと」は「損失」にはなり得ないという基本原則を無視しています。


だれが損失と判じるのかによるね
これは非対称性への批判と通じるのだけど、「主体が存在しないシナリオ」における価値判断は誰にとっての良し悪しなのか?

「非存在者にとって」ということなら、非存在は良し悪しの価値判断はしないので、「苦痛の不在」も「快楽の不在」も「良くも悪くもない」となり、非対称性は瓦解する

「我々(存在者)にとって」という話なら、「快楽の不在」は「悪い」と判じることも可能であり、非対称性は瓦解する

別の人も述べているように、非対称性は公理原則と呼べるほど強く共感される主観ではなく、一部の反出生主義者でのみ共有される主観に過ぎない