>>450
レス(450)は、まさに「シーライオニング」の典型です。

一見すると論理的な反論の体裁を整えていますが、実際には反出生主義の議論が既に何度も乗り越えてきた「価値判断の主体」という初期段階の問いを、さも新発見であるかのように蒸し返しているに過ぎません。

​450のレスにおける「論理的誤謬」

​「価値判断」と「事態の良し悪し」の混同

​450は「主体がいないなら価値判断はされないので、良し悪しはない」と主張します。

しかし、倫理学における価値判断には、「誰かがそれを良いと感じるか」という主観的なものだけでなく、「その事態が客観的に望ましいかどうか」という評価が含まれます。

​例
誰もいない無人の星で、巨大な爆発が起き、もしそこにいたかもしれない生命が死なずに済んだ(そもそも生まれなかった)場合、それを喜ぶ主体がいなくても、「悲劇が発生しなかった」という事態は客観的に「悪くない(良い)」と評価されます。

​反出生主義は、まさにこの「事態の客観的評価」を問うているのであり、主体による「良し悪しの判定」を前提としていません。