>>450
「快楽の不在は悪い」と判じることの傲慢

​450は「我々存在者にとって、快楽の不在は悪いと判じることも可能だ」と言いますが、これは極めて無責任な第三者視点です。

​未生者が「快楽を経験できないこと」を「悪い(損失)」と勝手に判定し、その「損失」を埋めるために彼らをこの世に呼び出す。

しかし、その結果として発生する「現実の苦痛」を背負うのは呼び出した側(我々)ではなく、呼び出された本人です。

​「快楽がないのは可哀想だ」という他者の勝手な判定のために、本人の同意なく「苦痛のリスク」を負わせる。

この「判定する者」と「リスクを負う者」の分離こそが、反出生主義が批判する倫理性(傲慢さ)の核心ですが、450はそこを完全にスルーしています。