東「世界にはいろんな立場の人がいます。たとえば、南京虐殺があったという人となかったという人がいる。ぼくは両方とも友達でいます。このふたりを会わせて議論させても、話が噛み合わないで終わるのは目に見えている。なぜならばふたりとも伝聞情報で判断しているからです。歴史学者同士なら生産的な会話は可能でしょう。しかしアマチュア同士では意味がない。(中略)ちなみにぼくは南京虐殺はあったと「思い」ますが、それだって伝聞情報でしかない。そういう状況を自覚しているのが、大塚さんにとっては中立的でメタ的な逃げに映るらしいですが、それはぼくからすれば誤解としかいいようがない。

大塚 南京虐殺があると思っているんだったら、知識人であるはずの東がなぜそこをスルーするわけ?知識人としてのあなたは、そのことに対するきちんとしたテキストの解釈や、事実の配列をし得る地位や教養やバックボーンを持っているんじゃないの?

東 そんな能力はありません。南京虐殺について自分で調査したわけではないですから。

大塚 でも、それを言い出したら何も言えなくなる。柳田國男について発言するのは柳田國男以外できなくなってしまう。歴史学自体がすべて成立しなくなってしまう。資料はすべて伝聞情報だからね。一次資料だって誰かのバイアスがかかっているわけで、南京虐殺論争だって、そのバイアスの部分で虚構と言うのか、あるいはバイアスを取り除いたところであったと言うのか。とにかく、東浩紀っていうのは、結局は人は何も分からないって言ってるようにしか聞こえないよ。

東 ある意味でそのとおりです。

大塚 (前略)つまり君が言っていることっているのは、読者に向かって、君は何も考えなくていいよと言っているようにぼくにはずっと聞こえるんだよね。

東 ええ。それはそういうふうにぼくはよく言われているので、そういう特徴を持っているんだと思います。

大塚 そうやって居直られても困るんだって。」

『リアルのゆくえ』(209〜211頁)