大塚「君の個性だと居直られた瞬間に、このあと対談する意味もなくなってしまう」

「東 たとえば、なぜ歴史の問題すら解釈次第という立場なのかと言われたら、それはぼくがポストモダニストだからです。ぼくにしてみれば、高橋哲哉氏が靖国問題であんなにポジティヴな話をしてしまえることに違和感がある。だからそれは、ある種の知的訓練の中でそういうポジションを取らざるを得なくなってしまったということでもある。

大塚 その話を聞いてしまったら、ポストモダンっていうのは、何もかもから距離を取れて、すごく楽な思想だっていう話になっちゃうよね。

東 楽と言えば楽ですが、楽じゃないと言えば楽じゃない……(苦笑)。

大塚 楽じゃないか。全部に傍観者でいられる当事者で、それこそ俺には関係ないって言えるような思想がポストモダンなわけ?デリダなわけ?(中略)あなたの言うポストモダンがそうだとしたら、ポストモダンって本当にそういう思想なの?もしくは、それはポストモダンっていう思想のせいなの?あるいはポストモダンという思想がもたらした時代のせいなの?

東 ポストモダンという思想のせいではないかもしれませんが……だから、ぼくが言いたいのは、ぼくという人格は個別にあるものではなくて、時代性とか、さまざまなものによってつくられているわけです。

大塚 その時代性っていうのはポストモダンの一つの要因で、戦後民主主義でもいい、君のメンタルな人間性は、いったい何から形成されているの?歴史的な要因っていうものの中に君の論理っていうものがさ……。

東 この議論は続けても仕方ないんじゃないかな。今、大塚さんはぼくの人格を批判しているので、それはやめたほうがよろしいんじゃないかと……。

大塚 人格の批判じゃないよ。論議の問題として、自分の人格の問題だから、ここから先は論議が成り立たないと言ったら……。」

(212〜214頁)