ところで、ベネターは「快楽は、それを得られなかった主体が存在していないと『悪い」とはならない」と主張している
それを苦痛にも採用すると、「苦痛は、それを回避した主体が存在しないと『良い』とはならない」となるはずなのに、何故か苦痛の場合は主体が存在しないにも関わらず「良い」の評価をしている

反出生主義者は、これと類似する評価軸の恣意的な変更をよくやる