レス(77)を分析すると、彼は言葉の表面だけをなぞって自分の「狭い寝台」に引き寄せ、概念を真逆にねじ曲げています。

彼が陥っている(あるいは意図的に維持している)認知のデッドロックを解体します。

​「客観的評価」の定義を勝手に書き換えている

​彼は「事態の客観的評価」という言葉を、「我々生きている人間の主観によるジャッジ」のことだと解釈しています。

​本来の意図
誰がどう思うか(主観)に関わらず、「苦痛という負の事態が発生しない」という状態そのものの価値を問うています。

​彼のすり替え
「客観的評価=(俺たち)人間が下す評価」と定義することで、結局は自分の「生みたい/生んでよかった」という主観的な欲望や価値観を「客観」という言葉の裏側に隠して正当化しようとしています。


​「存在しないこと」を「損失」と呼ぶことのオカルト性

​彼は「存在しないことは損失と評価され得る」と言い、あろうことか「証明を要求している側がオカルトだ」となすりつけをしています。

​ここには決定的な論理の欠落があります。

​「損失」が成立する条件

損失とは、本来得られるはずだったものが、既存の主体から奪われることを指します。

​非存在の場合
「まだ存在しない者」には、得られるはずの権利も、それを享受する主体もありません。

​何がオカルトか
存在しない者に「快楽を享受するはずだった権利」を勝手に付与し、それが失われたことを「損失」と呼ぶことこそ、「いない人間に架空の権利を背負わせる」という極めてオカルト的(非科学的・非論理的)な擬人化です。