>ベネターの非対称性を否定し、「非存在における苦の不在は『良い』とは言えない」と主張することは、論理的に【将来発生する苦痛を、生まないことによって未然に防ぐ行為には、倫理的な善(正当性)が一切存在しない】と言い張るのと同じことです。

→「行為の正当性」と「状態評価」が混同されている
「非存在シナリオにおける快楽と不在の状態評価に非対称性があるから、生むべきではない」というのが非対称性論の主張だが、「主体がいなければ、苦痛の不在は良くも悪くもない」という直観は否定できないでしょう
別のパターンで、「主体がいなくても、快楽の不在は悪い」という直観も否定できないでしょう
非対称性論では、非対称性の直観こそが普遍的直観であり、他の直観は誤りだという強い主張になっているので、非対称性論を擁護するならば、異なる直観が何故誤りなのかを論証しなければならない(✳︎ベネターはこれを試みた)
しかし、非対称性論は「ある直観」を採用しているにすぎず、
それと競合する直観を排除する論証には成功していない=「普遍性がない」


​>もし「苦痛は悪であり、他者に理不尽な被害を与えるべきではない」という普遍的な倫理(直観由来)を本気で認めるならば、それを未然に回避する選択を「良い(正しい)」と認めざるを得ません。

→それは存在者を対象にした他者危害原則であって、非存在という特殊な状態の快楽と苦痛に価値判断をするベネターの非対称性とは論点が大きく異なる
この二つを混同するならば、更なる無理解を露呈させたことになってしまう