ところで、「生殖義務の非対称性」の話が出たが流れてしまったので、批判と共に再掲しておく
今度はAIではなくて私のテキストで


ベネターが提示した「生殖義務の非対称性」とは、「不幸な子供を生まない倫理義務はあるが、幸福な子供を生む倫理義務はない」というもので、これを説明する為には「基本的非対称性」の価値判断(苦痛存在は悪い、快楽不在は悪くはない)を認めなければならないとベネターは主張する

確かに、「生殖義務の非対称性」は「苦痛回避は快楽享受より優先される」という道徳的な直観として受け入れやすく、普遍的(広く共有された)直観と言っても差し支えない
しかし、「基本的非対称性」の「状態評価」と、「生殖義務の非対称性」の「行為評価」は必ずしも一致しない
幸福な子供を生む義務はないとしても、幸福な子供が存在しない状態は「幸福を増やせなかった」という機会損失の観点から、少なくとも「中立」とは言い難い評価を受け得る
「確実に幸福になる子供が生まれなかった場合」を仮想すれば、潜在的な良さの実現を逃したことによる「惜しさ」は、何らかの否定的評価を伴うと考えるのが自然である
我々は、実現可能であったより良い状態が何らかの理由で実現しなかった場合、それを単なる「中立」ではなく「望ましくない状態」として評価することがしばしばある
この点を踏まえれば、快楽不在を「悪くはない」とする価値判断に普遍性があるとは言い難い

従って、「基本的非対称性」と「生殖義務の非対称性」の連関はベネターの主張ほど強くはなく、行為評価と状態評価はそれぞれ独立した直観が機能していると考えるのが妥当といえる