筋肉弁護士
@kinnikuben

マジで小っ恥ずかしい。自分でリベラルだの保守だのと謳う人間の中身空っぽ感尋常じゃない。社会主義者云々も同じ。そもそも対立しない。

「僕は社会主義者ではないが」。この物言いにこそ、批判すべき思考様式が凝縮している。

問題は斎藤幸平の主張に賛成か反対かではない。社会主義・リベラル・保守といったラベルを、サッカーのユニフォームのように「自分はどのチームに属するか」の表明として使っている点だ。

ラベルは中身ではない。斎藤が語っているのは、脱成長や〈コモン〉の所有形態、気候危機下での資本主義の限界という具体的な命題の束であって、「社会主義」という記号ではない。

問うべきは、その個々の命題に賛成か反対かである。「社会主義者ではないが面白かった」という構えは、その具体論を何ひとつ引き受けていない。

そもそもラベルはとうに解体している。今の「リベラル」が積極財政や消費税減税を語る一方、古典的自由主義は自由市場を是とした。「社会主義」もソ連型計画経済から北欧型社会民主主義、斎藤氏の脱成長コミュニズムまで振れ幅が大きく、単一の軸には乗らない。

リベラルと社会主義ですら、必ずしも対立しない。

意味があるのは常に各論だけ。再分配をどう設計するか、医療・水・電力といったコモンズの所有をどう扱うか、炭素税を課すか否か、最低賃金をいくらに設定し財源をどこに求めるか。そのそれぞれに、どの制度で答えるか。

そこにしか政策の実体はない。同じ問いで、逆のラベルを掲げる者どうしがしばしば一致し、同じラベルの者どうしがしばしば対立する。

「リベラルも大事だよね、頑張って」という言葉を勲章のように掲げる感性こそ、この国の政治をやせ細らせている元凶だ。

ラベルの相互承認は政策ではない。問うべきは「あなたは何主義か」ではなく「この具体的な問題に、どの制度設計で答えるのか」のみ。ラベルは思考を節約する道具であって、思考の代替ではない。

自らをリベラルや保守などと名乗って恥ずかしくないのは30歳まで。30歳を超えて私は保守ですや私はリベラルですなどと謳ってる者は例外なく境界知能で、その者から学べることは何一つないので一切関わらないことを薦める。

13:24 · 2026年6月20日