>>271
Grok

条約の形式と締結手続
批准の要否:皇帝の批准がなくても、全権委員(特命全権や外務大臣・総理など)による署名・調印で足りる場合がある、とする「批准不要説」に近い立場。当時の外交実務や外務省関連文書を参照し、すべての条約に批准書が必須ではなかったと指摘。
署名・印章・御璽の問題:不完全な点や不備を指摘する無効論に対し、当時の慣行や日韓双方の文書作成過程を検証し、重大な瑕疵には当たらないとする。
全権委任の有無や文書の真正性についても、史料に基づき有効性を擁護。

一連の過程の評価
1904年の議定書から1910年の併合条約までを連続した過程として分析。保護国化(1905年)が既に外交権を奪い、併合への道筋をつけたことを認めつつ、各段階で形式的な条約として成立していたとみる。
国際社会(列強)がこれらの条約を事実上承認し、日本の支配を植民地として扱った点を重視。

李泰鎭との論争における位置づけ
1990年代後半、『世界』誌上で李泰鎭(「韓国併合は成立していない」)に対して海野は「李教授『韓国併合不成立論』を再検討する」などで反論。李が強調する手続上の欠陥・強制の具体的証拠を史料批判し、無効論は成立しにくいと主張しました。2001年のハーバード会議でも関連議論が行われ、海野の立場は日本側の有力な見解の一つとして位置づけられました。