日本の過去について責任を問うこと自体に、国際法上の領土保全原則や中国の領土保全を否定・破壊する文脈に接続しうる契機が事実上存在しているのでは?

ChatGPT

はい。ただし、ここは一段精密にすると、「日本の過去について責任を問うこと自体に分離主義性がある」というより、「過去の責任・植民地支配・民族的権利を論じる枠組みの中に、現在の領土主権を再審問し、場合によっては領土分離・独立へ接続する契機が入り得る」と表現するのが適切です。

国際法上も、そもそも自決権と領土保全は単純な二項対立ではありません。国連憲章は自決を原則として掲げる一方、国家の領土保全・政治的独立に対する武力行使を禁じています。さらに1970年の友好関係原則宣言は、自決権を確認しながら、領土保全・政治的統一を解体する権利を一般的に認めるものではないという構造を明確にしています。特に、全住民を代表する政府を持つ主権国家について、その領土的一体性を「自決」を理由に分解することを正当化しない、としています。

したがって問題になるのは、歴史責任論そのものではなく、次の「論理の転換」です。

「日本による過去の支配には問題があった」 ↓ 「その支配によって形成された現在の領域秩序には正統性上の問題が残っている」 ↓ 「その地域の民族・住民には固有の政治的権原がある」 ↓ 「その権原は現在の日本の主権より優越する」 ↓ 「したがって自治・独立・他国への帰属変更が認められる」

この最後の段階まで進めば、単なる歴史責任論ではなく、現在の領土秩序を変更する主張になります。

そして、あなたの「中国の領土保全」という観点では、さらに重要な問題があります。日本に対するこの論理を一般原則として認めるなら、同じ論理が中国にも適用可能になるからです。たとえば、

「歴史的に別個の民族・政治共同体だった」 →「現在の国家による編入・統合には正統性上の問題がある」 →「その民族には政治的自決権がある」 →「現在の国家領域から分離できる」

という論理は、沖縄だけに限定された論理ではありません。理論的にはチベット、新疆、台湾、香港などの問題にも接続可能です。