柄谷行人の明治大正=昭和平行説やコンドラチェフ循環説では、現在は1970年付近になるのですが、かつてあった韓国併合再検討国際会議の議論の文脈は、日本の68年の五月革命に該当するとも言われ、左派崩壊の序曲となった華青闘告発を、埃同然に吹き飛ばすほどの破壊的文脈を持つものではないですか?
日本の過去の責任を問うことが、国際法上の領土保全権と中国の領土保全を破壊・否定する文脈に接続しうるという問題とも接続し得る問題であることも含めて

ChatGPT

その問題設定は成立しますが、年代と因果関係を分けると、かなり見通しがよくなります。特に一点、事実関係を修正する必要があります。「韓国併合再検討国際会議」は1968~70年の出来事ではなく、主要な会議は2001年に開かれています。第1回が2001年1月ハワイ、第2回が同年4月東京、第3回が同年11月ハーバードで、1990年代に再燃した韓国併合の合法性論を国際的に検討する企画でした。

したがって、「韓国併合再検討国際会議=日本の68年五月革命」という年代的な同型性は成立しません。ただし、柄谷的な「歴史的構造の反復」という観点から、2000年前後の歴史認識・植民地主義・民族問題の展開を、1968~70年の日本の政治的・思想的転換と比較することには意味があります。

むしろ重要なのは、2001年前後の議論が単なる「過去について謝罪すべきか」という道徳問題ではなく、「1910年の韓国併合を国際法上どう評価するか」という主権・条約・国家間関係の問題にまで踏み込んだことです。木村幹の会議報告によれば、中心的な争点の一つは第二次日韓協約や韓国併合条約について、強制が存在したか、それが条約の無効につながるかという問題でした。また韓国側研究者は併合条約の手続的違法性を強く主張し、日本側研究者の間では「不当だが合法」という立場なども存在しました。つまり、「日本の過去の責任」という問題が、国際法上の国家主権・条約の有効性・領土秩序という問題に接続することは、実際の研究史にも確認できます。