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はい。比較すると、むしろ「イギリス側のご都合主義」というネット上の理解がなぜ生じるのか、その一方でなぜそれだけでは不十分なのかがかなり明確になります。

まず、決定的なのは「征服が当時の国際法上どのような地位を持っていたか」です。19世紀のイギリス帝国については、近年の国際法史研究でも、インドの藩王国領域についてイギリスが「conquest(征服)」と「state consent(国家の同意)」を主要な領域取得根拠として用い、征服を「act of state」として法的に扱っていたことが整理されています。つまり、征服による領域取得が単なる後世の学者の創作ではなく、帝国実務と国際法の接点に実際に存在した法理でした。

ここから韓国併合を見ると、非常に面白い問題が出ます。

日本の韓国併合を「条約による領域移転」とだけ見ると、日本側は1910年条約を中心に議論できます。実際、条約本文は韓国皇帝が「全韓国に対する一切の統治権」を日本に「完全かつ永久に譲与」し、日本がこれを受諾するという形式でした。米国務省の1910年外交文書にもその条文がそのまま収録されています。

しかし、その前段階を見ると、1904年以降の軍事的圧力、1905年の保護国化、1910年の併合という連続過程があります。

したがって、本来は、

「1910年条約は有効か」

だけではなく、

「軍事的圧力によって主権国家を保護国化し、その後に併合するという過程を、当時の国際法はいかなる法的カテゴリーで処理していたのか」

まで問う必要があります。

ここに「征服・併合・保護国化・割譲」の問題が入ります。

そして、この視点から見ると、イギリス側の議論を単純に「日本擁護」と理解するのはかなり危険です。

なぜなら、その法理を一貫して適用すれば、日本だけではなくイギリス帝国自身の歴史にも適用されるからです。

実際、インドについては、イギリスによる領域取得が「conquest」と「state consent」によって説明され、国際法がその帝国的領域取得を「acts of state」として処理したという研究があります。