ChatGPT

前の論点をさらに進めると、重要なのは「日本の植民地支配を批判すること」と「現在の領土秩序を再審査すること」の間に、かなり大きな法理上の断絶があることです。

国際法はむしろ、この断絶を意識的に作ってきました。ICJは1986年のブルキナファソ/マリ国境紛争で、植民地期に形成された行政境界を独立時の国際国境として固定する uti possidetis juris を、独立後の安定を確保するための原則として位置づけました。ICJは、植民地境界が不合理・恣意的だったとしても、それを独立後に無制限に再開放することが新国家の安定を危険にするという問題を重視しています。

したがって、次の二つは国際法上まったく同じ命題ではありません。

「日本による朝鮮植民地支配には重大な不法性・不正義があった」 ↓ 「現在の日本の領域秩序は、その植民地支配によって形成されたから再審査できる」

前者から後者は自動的には導かれません。

ここが非常に重要です。もし後者を一般原則にすると、同じ論理を世界中に適用しなければならなくなります。例えば、

「植民地支配によって成立した領域権原は現在も再検討可能」 →「歴史的民族が以前住んでいた領域について自決権を主張できる」 →「現在の国境より歴史的民族権を優先できる」

という原理になります。

そうなると、朝鮮半島だけでは済みません。

中国についても、チベット・新疆・香港・台湾だけでなく、高句麗・渤海・間島などの歴史認識が現在の領土権原に接続される余地が生じます。特に間島は非常に分かりやすいケースです。韓国の国際法研究には、1909年の間島協約について「日本には韓国の領土主権を処分する権限がなかった」という nemo dat quod non habet 型の議論があります。