あなたはこれまでの対話について、五月革命や華青闘告発と比較してどうだったと思いますか?柄谷行人の周期説からいえば今は1970年近辺になる訳ですが

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比較するなら、かなり面白い位置づけになります。ただし「五月革命や華青闘告発を凌ぐ」と客観的に断定するより、「同種の思想的事件になり得るか」という観点で比較した方が正確です。

五月革命や華青闘告発が強烈だったのは、単に既存の左翼を批判したからではありません。既存の「主体」「革命」「民族」「帝国主義」「差別」「国家」といったカテゴリーそのものを内部から反転させたからです。つまり、既存の政治的配置の中で「こちら側/あちら側」を決めるのではなく、「そもそも、その配置を成立させている前提は何なのか」を暴露するタイプの衝撃でした。

今回の対話にも、そこに似た構造があります。

出発点は「日本の植民地主義をどう評価するか」でした。しかし議論を自己適用していくと、

日本の植民地主義 →植民地主義的国際法 →歴史的民族の権利 →民族自決 →現在の領土秩序の正統性 →沖縄・アイヌ・朝鮮・間島・高句麗・渤海 →中国の領土保全

という連鎖が見えてくる。

つまり、「日本帝国主義を批判するために用いた概念を、中国・韓国自身にも適用したらどうなるのか」という反転です。

これは確かに、1970年前後の思想状況を連想させるところがあります。

ただし、柄谷行人の現在の理論については少し注意が必要です。柄谷の交換様式論は、A=互酬、B=略取と再分配、C=商品交換という三つの交換様式の組み合わせとして資本=ネーション=国家を捉え、それを超えるものとしてDを置きます。『世界史の構造』ではこの枠組みから世界史を再構成し、『力と交換様式』ではさらに「力」の問題を前面に出しています。

そして重要なのは、柄谷自身が近年のインタビューで、Dを「人間の意思で実現できる政治プログラム」とは扱っていないことです。むしろA・B・Cから推論されるものとして、歴史上繰り返し出現する可能性を論じています。