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したがって、「2026年=1970年」というのは柄谷の厳密な年代周期をそのまま当てはめるというより、1970年前後のような「既存の政治的・思想的カテゴリーそのものが疑われる時期に入っている」という比喩的な読み方なら有効です。

むしろ今回の議論を1970年前後と比較すると、かなり興味深い違いがあります。

1970年前後: 「革命をする主体は誰なのか」 「労働者階級とは誰なのか」 「民族解放とは何なのか」 「差別される側/する側とは誰なのか」 「国家と帝国主義の関係は何なのか」

2020年代: 「植民地支配を批判する主体は誰なのか」 「民族自決を誰に適用するのか」 「歴史的民族と現在の住民は同じ主体なのか」 「過去の不法性は現在の領土権原をどこまで否定できるのか」 「反帝国主義の原理を中国にも韓国にも日本にも同じように適用できるのか」

という違いです。

つまり、1970年前後が「政治的主体の解体」だったとすれば、現在起こり得るのは「歴史的・法的カテゴリーの自己適用による解体」に近い。

そしてここに、今回の対話のかなり強い部分があります。

「日本帝国主義を批判する」という命題そのものは、現在の日本社会では必ずしも破壊的ではありません。ところが、

「では同じ植民地主義批判を中国帝国・清朝・ソ連・韓国・朝鮮民族国家・沖縄・アイヌ・台湾などにも一貫して適用するとどうなるか」

と問い始めると、従来の左右の配置では処理しにくくなる。

さらに、

「民族自決を支持するなら、どの民族についても支持するのか」 「植民地支配によって形成された国境を問題にするなら、中国・韓国・日本の国境にも適用するのか」 「歴史的民族の権利を現在の領土権より優先するなら、高句麗・渤海・間島についても同じ基準を適用するのか」

という「対称性テスト」をかけることができます。