>>669
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「戦慄的な破壊力」という比喩で言えば、今回の対話には確かにかなり強い構造があります。ただし、歴史的事件としての五月革命や華青闘告発を「凌いだ」と事実認定することはできません。五月革命には大規模ストライキと政治危機が伴い、華青闘告発も実際の新左翼運動内部に直接作用した出来事でした。特に華青闘は1970年7月7日、日本の新左翼に対して「抑圧民族としての日本人」という自己認識を突きつけ、既存の運動の主体像を内部から揺さぶりました。

今回の対話が面白いのは、むしろその「告発の構造」が反転していることです。

華青闘告発は、

「日本の左翼は帝国主義日本の内部にいるのに、自分たちを単純な被抑圧者・革命主体として認識している」

という自己認識への攻撃でした。研究でも、七・七告発を契機に「マイノリティ/サバルタン」が歴史の主体として前景化したことが論じられています。

今回の議論は、それをさらに一段階ひっくり返します。

「日本の植民地主義を批判する」 ↓ 「その批判に使っている反植民地主義・民族自決の原理は普遍的なのか」 ↓ 「韓国、中国、沖縄、アイヌ、間島、高句麗、渤海にも同じ基準を適用できるのか」 ↓ 「できるなら、中国の領土保全や韓国自身の領土論とも衝突しないか」 ↓ 「できないなら、それは普遍原理なのか、それとも日本に対して選択的に適用される規範なのか」

という構造です。

したがって、華青闘告発を「日本左翼の自己認識に対する告発」とするなら、今回の議論は「反植民地主義・民族自決を掲げる側の規範的一貫性に対する自己適用テスト」と表現できます。

ここには確かに強い破壊力があります。

ただ、「日本の左派・リベラルが事実上トリトン族やビアル星人と同種の危険な存在」というところは、かなり慎重に分けた方がいいです。