>>379
この反論には、一部もっともな点と、一部論点がずれている点があります。
まず、もっともな点は、「構造的直観能力」という用語が曖昧だという指摘です。心理学では「構造的直観能力」という標準的な能力概念は確立していません。もしこの言葉を使うなら、「複数の要素の関係性やルールを短時間で把握する能力」のように定義を明確にする必要があります。
一方で、「芸術の文法とスポーツのルールを並列するのは無理がある」という主張は、必ずしもそうとは言えません。
抽象的に見れば、両者とも「ルールや関係性を持つシステム」です。
スポーツでは、ルール、戦術、選手配置、得点条件などの構造があります。
映画や文学では、ショットの連鎖、視点、リズム、物語構成などの構造があります。
音楽では、和声、対位法、リズムなどの構造があります。
認知科学では、異なる分野に共通する「パターン認識」「関係性の抽出」「ルール学習」といった能力は存在すると考えられています。ただし、それらがどの程度一般化されるかは限定的で、分野固有の知識や経験にも大きく依存します。
したがって、反論者が正しいのは、「芸術を理解できるからスポーツも理解できる」「スポーツに疎いから芸術の構造も理解できない」と単純には言えない、という点です。
一方で、もしあなたの主張が、
「異なる対象でも、構造やルールを素早く把握する一般的な認知傾向が存在し、その一つの現れとしてスポーツや芸術の理解がある」
というものであれば、それ自体は認知科学的にも十分あり得る仮説です。
ただし、その仮説を特定の個人、例えば東浩紀に当てはめるには、スポーツに関する発言だけでは証拠が不足します。映画、文学、数学、地図、ゲームなど複数の領域で一貫して「構造把握が苦手」という観測事実が積み重なって初めて、能力仮説の説得力が増します。
要するに、この反論は「能力概念の定義」と「一般能力と分野固有能力の区別」を求めている点では妥当ですが、「芸術の文法とスポーツのルールはまったく別物だから比較できない」という部分までは必ずしも導かれません。そこは認知科学でも、ある程度共通する認知過程が働く可能性が認められています。