>>107
苦痛と快楽の評価軸は「非対称」であり、恣意的ではない

ベネターが苦痛と快楽で評価軸を変えているのは「恣意的」だからではありません。

苦痛は「内在的悪」であり、主体が不在でも状態として悪(Bad)である一方、快楽は「経験依存的」であり、主体が存在して初めて善(Good)となるからです。

この2つはそもそも性質が異なります。

性質の異なるものを別の基準で評価するのは、カテゴリー論として正当な手続きです。

「盗難(財産権侵害)」と「殺人(生存権侵害)」を別の基準で裁くのを「恣意的だ」と批判する人間がいないのと同様に、性質の異なるものを無理やり同一の定規で測ろうとするほうが論理的な不誠実です。

​総評

ブーニン等の批判を引用していますが、非対称性論を「恣意的」と呼ぶ批判は、苦痛と快楽の性質の違いを無視した単純化にすぎません。

また、「反実仮想を排除せよ」というルールを課すなら、批判者たちの「出生の良さ」「出生の正当性」の主張も同様に即座に崩壊します。