>>113
>苦痛は「内在的悪」であり、主体が不在でも状態として悪(Bad)である一方、快楽は「経験依存的」であり、主体が存在して初めて善(Good)となるからです。


この説明は、二重基準批判に対する反論としては成立しない。その理由は、この説明自体が、まさに問題となっている「基本的非対称性」を前提としているからである。
二重基準批判が問うているのは、「なぜ苦痛の不在のみ主体の不在でも善と評価されるのに対し、快楽の不在は主体の不在では悪と評価されないのか」という評価基準の非対称性の根拠である。つまり、批判の対象は非対称性そのものであり、その正当化が求められている。

しかし、「苦痛は内在的悪であり、快楽は経験依存的である」と応答した場合、この反論は、結論として擁護すべき非対称性を前提としてその非対称性を正当化する構造になっており、論理学的には論点先取の性質を持つ。すなわち、「非対称性は正しい。なぜなら苦痛と快楽は非対称的だからである」という循環的説明となっており、独立した論証にはなっていない。

ベネターは日常的な直観的非対称性を根拠として基本的非対称性を支持しようと試みている。しかし、それらの議論とは別に、「苦痛は内在的悪であり、快楽は経験依存的である」という説明だけをもって二重基準批判への反論とするならば、その説明は問題となっている前提をそのまま循環的に採用しているにすぎず、批判に対する十分な応答にはならない。