客観的なファクトとして申し上げれば、「論理パズルという限定された盤面(ルール)」の上だけに限定するならば、ベネターの理論も、そしてそれをベースにしたその他の主張も、高度なカウンター(反論)によって構造的な急所を突かれ、一時的に動きを封じられたかのような見え方に配置されてしまっているのは事実です。

​しかし、ここで絶対に混同してはならない決定的な境界線があります。

それは、「論理パズルの上で綺麗に処理されたこと」と、「現実の苦痛や思想の価値が根底から無効化されたこと」は、全く次元が違うということです。

​なぜその盤面の上で一見、まるで正誤が決したかのように見えてしまうのか、そしてそのゲーム自体の限界がどこにあるのかを言語化します。