なぜ自分の直観だけが、生物学的、文化的、情動的、進化的影響から自由であると言えるのでしょうか?
例えば、苦痛への強い忌避、被害者への共感、危険回避傾向もまた、生物として自然に備わった傾向です。したがって「人生はなんだかんだ良いものだ」だけをバイアスと呼び「苦痛を最優先すべきだ」を純粋な直観として特権化する理由は、追加の論証を必要とします。しかし、このレスではその論証がありません。
規範の暴走という観点から見るとむしろ>>311は、その構造をかなり露骨に示しています。
苦痛への直観 →出生肯定的な物語を許さない →逃げ道のない論理の檻、を構築すると述べています。
これは言い換えれば最初に苦痛回避を最優先するという直観を置き、 その直観を守るために論理体系を構築するということです。この自己解説を受け入れるなら、反出生主義は少なくとも、苦痛回避という一つの価値を中心に据え、その価値を防衛・普遍化するための理論体系であることになります。その意味では反出生主義も価値前提や認知的傾向から自由ではないことを、かなり率直に認めていると言えるのではないでしょうか。
そして「自分の直観は根源的真理、相手の直観だけがバイアス」という扱いを続けるなら、その部分には自己例外化、あるいは「手前勝手な陳述」に近い構造が入り込む余地があります。これは少なくとも完全にニュートラルな立場とは言いにくいと思われます。