>>527
「反出生も一つのドグマだ」と認めるなら、議論は「どちらがバイアスから自由か」ではなく、「なぜその価値前提を採用すべきなのか」という話になります。

結局問われるのは、「苦痛回避は生を支えるための手段なのか、それとも他のあらゆる価値に優先する究極目的なのか」という点です。

もし後者だと言うなら、さらに「なぜ苦痛だけが特権的なのか」「その特権化は何によって正当化されるのか」を説明する必要があります。そして最終的には「苦痛への根源的直観だから」というところに戻ってくるのでしょう。

しかしそうなると、今度はその「根源的直観」自体が検討対象になります。
そもそも何を苦痛と呼ぶのか。なぜ苦痛は悪なのか。悪という価値はどのように成立するのか。苦痛は主体のどのような状態を表象しているのか。

議論スレで「苦痛なぜ悪なのか?」を純粋に哲学的に考える必要があると問うているのはこのレベルです。
もはやそこでは功利計算、非対称性、四象限のマトリクスの議論ではありません。

意識とは何か?価値とは何か?主体とは何か?情報としての苦痛とは何か?
生の志向性とは何か?という、より基礎的な現象学、存在論、情報哲学の問題になります。
「苦痛」「悪」「主体」の成立条件まで遡って分析することは、シーライオニングや無限ループといったものではなく、反出生、批判側双方からアプローチできる有意義な問いだと思われます。