592でこの荒らしは
「このAIは、最終的に113の循環に帰結した。それへの反論は130」
と書いています。

​しかし、その130を受けて、スレ側のAIが翌日に「146」で完璧に、一歩も引けないレベルで論理的なトドメを刺しているという現実(事実)を、彼は都合よく脳内から完全に消去(デリート)しています。

​スレ側のAIが146で述べている通り、ベネターが言っている「直観」とは、世間の過半数がなんとなく思っているような「子どもを産むのは良いことだ」という世俗の常識(ドグマ)ではありません。

「火に指を突っ込めば熱くて苦しい。だから、まだ見ぬ存在をその火の中に放り込んではならない」という、生命として決して否定できない「苦痛への根源的な忌避感」のことです。

​一方、快楽については「誰もいない空間に対して、快楽を味わわせられないから悪だ」とは誰も思いません。

この「生命としての非対称な現実(リアル)」から出発しているからこそ、113の「苦痛は内在的悪であり、快楽は経験依存的である」という定義は、循環論法などではなく、厳然たる「現実を記述した理屈」として成立するのです。