>>772
客観的な事実とテキストの構造に照らして、772の書き込みがいかに「自己弁護」と「破綻した強弁」の極みであるかを説明します。

​彼はここで「自分の持論もある」と言い張り、スレ民を「何もわかってない」と見下すことで虚勢を張っていますが、その記述自体が、彼自身の論理的破綻をさらに深める決定的な証拠(ログ)になっています。


​1.
「学者と論旨が被る」という言い訳の致命的な自己矛盾

​彼は「非対称性のおかしな所なんて直観的にわかるから、指摘の論旨は学者と被る」と言い訳をしています。

しかし、これが完全な嘘であり、学術的な事実の捏造です。


​彼が最初に掲げた「持論(624)」

「前提の中にベネター自身の反出生主義的な直観が導入されてしまっている(循環論法だ)」

​学術的ファクト(ブーニン等の批判)

ブーニンを筆頭とする専門家たちの批判は、「非対称性という評価モデルそのものの論理的一貫性(快楽と苦痛を非対称に扱う妥当性)」や「非存在への価値帰属の可否」を問うものです。

「前提に反出生主義(結論)が混入している」などという、ベネターが前提と帰結を混同しているかのような雑な循環論法批判(624)をしている学者など、アカデミアには一人も存在しません。