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批判側が絶対に譲らない「理屈」
批判側の論理の核心は、「すべての『善い/悪い』という価値評価は、必ず【誰かにとって】の善し悪しでなければならない」という絶対的な大前提(公理)です。
彼らの頭の中のシステムは、以下のように徹底して構築されています。
彼らの公理
価値とは、現実に存在する(あるいは将来存在する)「主体(人)」に帰属して初めて成立するものだ。
誰も存在しない空間には、価値を測定する「器」がないのだから、そこは「善」でも「悪」でもなく、ただの「無(価値評価の対象外、ニュートラル)」である。
この前提に立つと、彼らが提示した無人島の例は、彼らのシステムの中では「正しい」ことになります。
彼らの無人島の解釈
「無人島に誰もいなくて、誰も病気で苦しんでいない事態」は、苦しんでいる主体がいないのだから「悪」ではない。
しかし同時に、その事態を「良かった」と享受する主体もいないのだから、「善(良いこと)」でもない。
ただのゼロ(ニュートラル)だ。
彼らが「ベネターの非対称性は直観に反する」と繰り返すのは、この「誰の器にも入っていない『善』なんて、幽霊みたいなものを認めるわけにはいかない」という、形式論理的な厳密さを守りたいからです。