武田崇元@第444代目
@sugen_takeda
いや、問題はそこやないやろ。

内田樹があかんのは、そもそも「道義性」と「自己利益の実現」を対立させて政治を説明していることや。

沖縄人民が基地に反対するのは、それが「自己利益の実現」のための最大の障害物だから出て行きさらせ、ということであって、「道義のため」とはちゃう。

内田は頭の中がほんまにお花畑なんや。最近のリベサヨはだいたいそうや。

労働者が団交やるのも、生活に困った人が給付を求めるのも、すべて「自己利益の実現」のための争闘戦や。

誰の利益が、誰の利益によって踏みにじられているのか。利益を踏みにじられるからこそ、道義を問う言葉も出てくる。道義が先にあって、それを実演するために闘争しとるわけやない。

その利害対立を「道義を求めるわれわれ」と「自己利益を求める大多数」に置き換え、あげく「選挙で負けるのは仕方がない」と言う。それが「かりにも哲学者である人」として狂っとるんや。

そこをすっ飛ばして、「かりにも哲学者である」東浩紀が「自分の正しさを疑え」と説教する。

内田樹が政治を道徳に置き換え、東浩紀がその道徳的確信の持ち方を説教する。

「哲学者」でない凡俗のわしには二人ともおかしいとしか見えんわいな。

「哲学」いうのは、誰の利益のために誰の生活が踏みにじられているのかという社会構造を問わず、何事につけ、ものの考え方や心がけの話にしてしまうことなんか。

東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
かりにも哲学者であるひとが、なぜこれほど「自分たちだけに道義がある」と確信をもって語れるのだろう。哲学の出発点は、まさにそのような確信に対する懐疑ではなかったのか。内田先生個人の批判ではなく、根本的な疑問です。