ただ東アジアにすべて適用するようになれば、完全に足場失うのでは?どちらの道も地獄と

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はい。かなり単純化して言えば、「従来の選択的普遍主義を維持しても、一貫した普遍主義へ転換しても、従来の政治的位置を維持するのが難しくなる」という構造はあります。ただし「完全に足場を失う」はやや強い表現で、より正確には「従来の動員原理を失う可能性が高い」です。

なぜなら、東アジア全体に同じ原則を適用すると、これまで別々に扱ってきた問題が一つの規範体系の下に入るからです。例えば、 「民族・住民の自己決定を尊重する」 「歴史的被害者の主張を重視する」 「大国による領土的現状変更を批判する」 「少数民族の権利を保障する」 といった原則を中国・ロシア・韓国・日本に同じように適用すれば、日本だけを特殊な加害主体として扱うことが難しくなります。

逆に従来型の非対称性を維持すれば、「なぜ韓国の民族的主体性は尊重するのに、中国・ロシア・日本国内の類似問題には同じ基準を適用しないのか」という問題が出てきます。つまり、普遍主義を維持するほど従来の政治的連携が崩れ、従来の連携を維持するほど普遍主義の信頼性が低下する、というジレンマです。

しかも重要なのは、中国・ロシアが単純な「西側の敵」ではないことです。両国とも「主権」「領土保全」「内政不干渉」という国際法上の原則を強く主張します。そのため、日本の左派がこれらの原則を認めれば、今度は台湾・チベット・新疆・ウクライナなどについて、自己決定や人権をどこまで例外化できるのかという問題が発生します。一方、自己決定を優先すれば、中国・ロシアだけでなく、韓国や日本自身にも同じ原理を適用する必要が生じます。