”プログレッシヴ・ロック”という言葉を日本で始めて使ったのは当時の東芝音楽工業で
ピンクフロイドの原子心母のライナーに、”ピンクフロイドの道はプログレッシヴロックの道なり”
というコピーが使われたのが最初だと思う
当時の東芝音楽工業は色々と毛色の変わった洋楽ロックを日本に紹介していて
クォーターマス、サードイアーバンド、タンジェリンドリーム、アモンデュールIIも東芝だったかな?
でもそれらにはフログレッシヴロックというコピーは使わず”実験的音楽”として紹介していた

その後、キング・クリムゾンやイエスが日本に立て続けに紹介され、EL&Pの人気が爆発するに至って
プログレッシヴロックという言葉は日本でその地位を確固たるものにした
よって歴史的見地から見るとプログレッシヴ・ロックの定義とは

「ピンクフロイドに始まり、イエス、キングクリムゾン、EL&Pの持つ音楽性とそのフォロワーたち」
で事足りると思う

当時はソフトマシーンやカンタベリー系ロックはプログレッシヴ・ロックの範疇にすら入っていなかったし
ジェスロタルもただのジャズロック扱い
ユーロロックがプログレッシヴロックに分類され始めたのはオランダのフォーカス、イタリアのPFMが
日本に紹介されたあたりから
その後UKやエイジアの没落でプログレッシヴロックの歴史は一旦幕を閉じた

その後プログレッシヴロックの定義を広げたのは80年代ニューウェイヴ以降のマーキーレコード
(ベル・アンティーク)で、この会社は輸入CDに粗末なライナーと帯を付けて販売しているだけの会社なのだが
この会社が自社の輸入CDを売りやすくするため、辺境ロックやワールドワイドな変り種ロックにまで
プログレのレッテルを貼り、自社の販売するカタログ本、ユーロロック集成、ジャーマンロック集成などなど
のカタログ販売と、トータルなメディア戦略の走りみたいな商法でワールドワイドな変り種ロックに
プログレのレッテルを貼り売り始めたのが現状で、その意味ではマーキーの功罪は大きい
余談だがペッカポーヨラのようなフュージョンにまでプログレのレッテルを貼り売ったのは笑ったが
ペッカなどはプログレとして紹介したからマーキーの影響を受けたプログレファンに受け入れられたのであり
その意味ではマーキーのメディア戦略は成功したといえる

で、マーキー(ベルアンティーク)の影響を受けてプログレを聞き始めた人の分類ではレコメン系あたりが
80年代以降のプログレの王道ということになるのかと思う