石野卓球が初めてDJをプレイしたのが、1991年12月1日の渋谷DJインクスティックバーで行われた『史上最大のテクノポップDJパーティー SUPER』っていうニューウェーヴ/テクノポップのライブイベント。
この当時石野卓球がプレイしたのが、石野卓球のルーツである "ノイエ・ドイッチェ・ヴェレ"のレーベル、ATATAK、ツィックツァックのシングルをレコード番号1番から順番にメドレーでかけるという実験的な内容だった。
曲と曲をミックスして繋げる感じじゃなくて、ターンテーブル2台で次から次へとレコードの曲をカットインしてメドレー形式で繋いでいく感じのDJプレイの路線だった。 (ミキサーは、Vestax PMC-20SLっていう横型ミキサー。)
時折スクラッチも入れてたけど。この時回してたのがDer Plan、Pyrolator、アンドレアス・ドラウ 、Die Zimmermänner、初期Einestürzende Neubauten等などetc・・・結構いっぱい回してた。
ジャーマンニューウェーヴのATATAK、ツィックツァックのレーベルのシングルレコードの曲を、総動員。って感じのセットリストで、まさに熱気があったスロッビングディスコキャットなDJプレイだった。
だから石野卓球が一番最初にDJプレイしてたのが、ジャーマンニューウェーブだったんですよ。当時からドイツにのめり込んでいたのがわかる。