「十三になると、レコードを買う資金かせぎに、放課後音楽のアルバイトをした。
デパートで電気オルガンの宣伝演奏をしたり、ダンス学校でピアノをひいたり、昔のサイレント映画専門の映画館で、即興で映画の伴奏をつけたり」。
「ときどきわが身を振り返ってみて。少なくとも音楽的には何人分もの人生を堪能したような感じがする。ここ二十年でようやく指揮者として腰を落ち着けたが、
それまでには音楽と名のつくものならありとあらゆる仕事を追いかけて暮してきた。
下稽古のピアノ弾き、映画の作曲、素人ジャズ弾き、編曲者、オーケストラのピアニスト、劇場指揮者。
もっと若いうちに列記とした指揮者になれるように力を傾注できるだけの性格の強さがなかったことを時にくやみはするが、
我がカメレオン的人生のどの部分も時間の浪費だったとは、本心思えない」。
「いちばん長くつづけた仕事は、映画の十年で、それを始めたのには妙ないきさつがあった。
1948年に、私はカリフォルニアで勉強していて、地元のラジオ・ショーのための編曲でなんとか余分の金をかせいでいた。
MGMが当時映画会社の文句なしの最大手で、毎年つくる何本かのミュージカル映画は、
エスター・ウィリアムズが泳ぐプールサイドでホセ・イトゥルビ
(スペイン出身のクラシック音楽家で指揮ピアノ、戦時体制下のミュージカル映画で活躍)が白いピアノを弾くというような趣向だった。
あるときイトゥルビが何かジャズ風の即興をやらされることになったが、ピアニストとしては優れていても、こういう分野には縁がない。
スタジオの誰かが私のことを伝え聞き、あの男なら必要なことを安く早くあげてくれるだろうと見事な勘を働かせたらしく、
早速私と連絡をとって契約した。私は必要なピアノ・パートを書いてから、おずおずと、オーケストラの伴奏も必要なら書いてみたいのですがといってみた。
向こうが切りだした作曲料は、売店で昼飯が買えるくらいのものでしかなかったが、私は喜んで引き受けた」。
「(ここから始まる映画界での経験について)われわれの仕事にまつわる逸話の数々は、それだけで一冊の本をみたすに足りる」