我/人を"to be shown mercy"と解釈し、人/主を"to be treated with generosity"と解釈
したがって、我/人は、我が人によって慈悲を示されることを表しているわけではなく、
同様に人/主も、人が主によって気前よく振る舞われることを表しているわけではない。
そうではなく、そのように働く作用が、我を生じるのである。また、自らの家に相手を迎え
入れて歓待する人は、その行為によって相手に対して主とされるのであり、相手に対して
主であるから歓待するのではない。だからこそ、返礼として相手に自宅に招かれれば、
今度は、それを快く受け入れて相手が主として振る舞うことができるようにすることが、
互酬性に照らして礼儀とされるのである。逆に言えば、己だけが繰り返し主として相手
を迎え入れることは、自らの主としてのステータスを相手に認めさせる行為となる。