まあ哲学は理性が基準だし、バークレーがニュートン否定しても、そう仮定したら計算どおりも知性の限界

決定不能ということ、運動を静止で理解し、規定するのも、数学の0も知的限界だと理解し規定された観念ということ。

数学というか論理に決定不能がつきまとうのは、「理解する」で観念したから。それ以上論理的に扱えないというだけ

対象である自然が無矛盾なのは、対象を対象としている己の知性を自然を、超越した対象に棚上げしているから。

主張が認知の限界を裏付けているということ。