つまりラカンは、翻訳という「作業」が不可能と言っているのではない
異種言語間で全く同じ内容を持つ表現は原理的に不可能だと言いたいわけだ

だがこの主張も甘い
「青色を見たことのないう奴に青色を説明できるのか」と似たごまかしがある
多くの哲学者はそれを「不可能」のアイコンとして用いるだろうがしかし
それが不可能であることの根拠は怠惰な直観以上のものではない