この論理的展開を見ないふりするのはなぜ?


言語ゲーム論をもう少しわかりやすく言うと、
言語が成立するのは慣習が必要ということ。
慣習とは体で覚える、訓練、身体のレベル。
たとえばどうやって歩いているか説明できるか?
どうやって自転車に乗っているか説明できるか?
ボランニーのいう暗黙知。

数学もしかり、理解だけでなく自転車にのれるように身体の訓練が必要だ。
実はすべてにこれは言える。見ることは光学的何かではなく、見るように訓練が必要だ。
人は見たいようにしかみえない。
言葉を話し、理解することしかり。
規則だけでは成立しない。

慣習は決して固定することはない。
一度行為することで少しだから慣習は変化する。
行為するたびに変わっていく。

見方も見るたびに少しずつ変化していく。
言葉も使うたびに変わっていく。
イデアなどないそれが行為論の世界である。

数学も説くたびに少しづつ変わっていく。
数学は変わらないだろう?
数学は発見でなく発明だから時間とともに変化している。
確かに記録されて全員で共有しあっているから変わりにくいがかわっていっている。