>>406
>快楽や幸福は生まれてしまった後の存在が、そこで初めて苦痛や不幸と対を成した
>補償、補填として必要とするもので、作られ生まれる前にその必要性は存在していなかった

全く意味がわかりません。快楽や幸福は別にどんな場合であれ「必要とする」ものではなくて、
たんに「現前するなら、当人にとってはよいもの」というだけです。
同様に、苦痛や不幸は、「現前するなら、当人にとっては悪いもの」というだけです。
作られ生まれる前にも、死んだ後にも存在しようがない、という点でも、両者は全く同じです。

>子供を作るというその行為には一生分の苦痛と不幸を否応なしに子供に押し付ける構造、意味が
>必ず含まれる

これも同様に、一生分の快楽と不幸を否応なしに子供に押し付ける構造、意味も含まれるので、
何ら非対称性などはありません。「非対称性の備わった出生の構造」が何を意味するのか、
どうにも理解できません。

それと、「押し付ける」とか「需要も要請もなかったことを、一方通行で自己の要求を満たす
ために実行してしまう」という表現は、どうにも無理があります。
生まれる前は相手は存在していないんですから、厳密には何も「押し付ける」ことはできないし、
「需要も要請もない」のも「一方通行」なのも、そうでないことは論理的に不可能なんですから、
批判するのは無理というものです。
それに、ある意味では、何であれ他者に影響を与える行為をすることは、否応なしに
「一方通行の押し付け」であるしかありません。この構造は、存在している者同士でも同じ、
というより、存在している者同士の方が明白です。