ところが、反出生主義者は、この正反対です。相変わらず根拠はさっぱりわかりませんがw、
「快や苦を伴う未来の生が最大の悪であって、無の未来が一番よいのだ」と主張して、
「だから、子供は生まれてこないことが当人のためにはよい」と結論づけます。
そこで、生まれる前の人間にその謎原理wを適用するなら、生まれた後の人間にも
適用しないと筋が通らないのでは、と指摘しているわけです。

よりわかりやすい例にするなら、20才の人が夢も見ずに熟睡していて、枕元に
ピストルを持った人が立っていて、頭を撃ち抜こうかどうしようか考えているとします。
これは、親が子供を産もうか中絶しようか考えている例と、快苦の構造において、まったく
同一で、何の違いもありません。
例の、相変わらず意味のわからないw「快苦の非対称性」を適用して、
「未来の苦の可能性を回避することは、それ自体がよい。未来の快の可能性を回避する
ことは、それが不充足?を伴わない場合は、よくも悪くもない」と仮定します。
すると、子供を産むより産まないで中絶する方が、当人のためにはよいことに、
疑問はありません。
全く同様に、眠っている20才の人を即死させた方が、殺さないで目覚めさせるよりも
当人のためにはよい、という結論になります。どちらも、一切苦を増やすことなく、
未来の快と苦の可能性をトータルに回避する、という本質に、変わりはないのですから、
いくら論理をこねくり回したところで、この結論は回避しようがないのです。

とうか、単純に、反出生主義はそのまま取れば、種としての人類に対する「死のすすめ」
「無のすすめ」なのですから、個体としての人間に対しても、同じように「死・無」を
すすめるのが、ごく自然なのです。なぜそれを(しかも、自称反出生主義者の誰一人として)
認めようとしないのか、どうにも不可解というしかありません。