「夏草や兵どもが夢の跡(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)」

「み(身)づから(柄)」を含め「我々」は皆滅びる。
「我々」の命がいつかは終わりを迎えることは、
確かに「悲劇的」なことでしょう。
しかし、だからと言って、その「悲劇」を「地球の終わり」だとか、
すべての「生命の終わり」だとかにすぐに結び付けてしまう考え方は、
やはり「中二病的」で、極めて幼稚であると言わざるを得ないのですよ。

「つわものども」が滅び去った後にも、強い陽射しを浴びながら
夏草が勢いよく生い茂っている、そこに「み(身)づから(柄)」がある。
ここにあるのは、滅びを他人事として見る態度でも、どうせ皆滅亡
するのだという自暴自棄の諦めでもない、「み(身)づから(柄)」を
含めた「無常観」でしょう。そのような昔からある「無常観」を捨てて、
子供の論理に合わせて「地球が滅びる」、「生命の終わりだ」と
大人たちが大合唱している姿は、あまりにも見苦しいものではないでしょうか。