エコロジーを守ることの大切さを訴えることは、依怙贔屓としてしか、
また、その訴えの正しさを公平性の観点から主張することも、
たとえそれがニヒリズムとして行われる場合でさえ、依怙贔屓の
正当化としてしか成立し得ない。これは原理的にそうなのであり、
したがって、エコロジーの保護を訴えることは依怙贔屓である
から、全面的に否定されるべきであるとか、廃除されるべきである
ということではない。そうではなく、依怙贔屓として「誰にどう
都合がいいのか」が、現状において、絶えず交渉されて、合意
されるものでなければ、エコロジーの保護という理想の実現は、
必然的に専制的な支配を正当化するものとしかならないという
ことである。