肯定か否定かを選択しなければいけない場面では、その選択の判断には必ず選択者の主観が伴われることになる
そういう意味では反出生が立論者の主観だというのも間違いじゃないだろうな
ただ同じ理屈で出生の100%客観的な肯定というのも絶対に誰にも不可能なように出来てる
だから主観か客観か二元論で見定めようとすること自体が意味を持たない気がする