>>589
実朝時代の仏教の存在論は究極的に一切の存在は心以外にないという唯識とか天台一念三千だから当然と言えば当然。

宣長の神は「畏きもの」「奇しきもの」全てが神だから実朝の意図するものと根本的定義が違う。