マルクス的な具体的なモノの生産が社会の土台という思想なり感覚は新古典派にも共有されてると思う。

しかしモノの生産が効用を生み出すという場合の効用にも限界があるのではないか?

マルクスに代表される経済土台説自体を疑う必要があるかも知れない。