みづから(身づ柄/自ら)が既にはっきりと意識していることを、他人にも
気づかせて意識させようとする行為は、そのような行為が他人に
「明示的である」と見なされるなら、それだけで既に「をこがまし」い。
なぜなら、みづから(身づ柄/自ら)が意識することは、まず何よりも
先に「みづから(身づ柄/自ら)の気に障ること」であり、他人にとっては、
それが何であれ、気づいておらず、それに気づかなくても自分に
何の支障もないなら、そんなことは知ったことではないからである。