ピリチュアリズム的な観点で言えば、この世は修行の場なのであるので、困難や
苦しみ、不幸は、超克すべき試練として、むしろ必要なものとされる。宗教的な受苦であれば、
それは価値あるものとされる。

たしかに現代社会には無痛志向があるため、苦や不快は直ちに端的に除去されるべき
悪いものとされがちではある。つまり、それらが有し得る利点を一方的に無視している傾向は
確かにあるだろう。ただ、家庭内のDVや学校や職場でのいじめ、セクハラ、パワハラが
人間性を向上させるような試練となるかは大いに疑わしい。

何かの修行や勉学、スポーツ等の鍛錬であれば、それは自己選択した苦痛や困難なので、
それらに耐えるのは意味や価値もあるだろうが、通り魔に刺されたり、テロや無差別殺人の
被害やストーカー被害に遭うことをそうした試練とは普通は呼ばないことだろう。

つまり、苦や困難に対しては、それが自己選択によってもたらされたものか、一方的な
外部からの暴力としてもたらされたかによって、大きくその性質を異にするようにも考えられる。