例えばな
有毒ガスが湧き出たり噴火する危険性のある火山の登山口にその旨を厳重注意する看板を掲げたとして、しかし看板を掲げた以後誰もその山に来なかったとする

この時に、その火山と看板と看板を立てた人間にまつわる出来事を観測してる時点、その段階では看板の注意によって危険を回避出来た人間、主体は一人も居ないことになってる

ではその段階での観測を以て看板を立てた行為は誰の利益にもなっていない、未来永劫ならない、利益を得ている主体が何処にも存在していないが故に看板を立てた行為は公共の道徳には当たらないことになるのか?

何万回説明されても理解出来ない人間が居るようだが被災する主体が無であることこそがここでの道徳から来る、目指すべき目的なんだ

その部分で無限に足踏みを繰り返してる人間は 何も無い事 誰も居ない事 こそが正に利益、目的に適うことになるケースを想定出来ないだけだろう
そして可能性について徹底的に無視してる
観測してる一瞬に未来の時間まですべて含めてしまってる