生殖の後に生が続き、生の後には、死が必ずついてくる。そこで、次ぎのような考察を
することも、あながち徒爾ではあるまい。或る個人(父)が享受した生殖の淫楽は彼自身に
よって贖われずに、かえって、或る異なった個人(子)により、その生涯と死とを通して贖われる。

ここに、人類というものの一体性と、それの罪障とが、ひとつの特殊な姿で顕現するのだ。
しかるに、凡俗の観察では、かかる一体性が時間によって揚棄されているかのごとく、
思いこまれているらしい。 生殖は、自乗した強さの生存意欲である。わたしたち自身の生は、
私たち自らが死によって贖うのだが、いま自乗した強さの生存意欲だといった生殖は、
或る異なった個人が、生と死とによって贖わなければならないことになる。